前回の記事の続き
『日本のいちばん長い日』
作品の中に出てくる日本語が難しいのと、この時代の歴史知識が乏しいせいであずきちゃんは全然理解出来なかった。
教科書をただ読むだけの学校の授業では詳しく取り上げられなかったし、自分は世界史を選択していたから知識もなく、鈴木貫太郎という人物、終戦に至るまでの経緯を全く知らなかった。
登場人物と映画の中に出てくる用語の意味を調べてから、字幕を付けてもう一度観た。
この映画は主に、昭和天皇による聖断が下った8月14日から、8月15日の玉音放送までの激動を描いている。
正直、この時代の政治家の大多数が戦争強硬派だと思っていたから、鈴木貫太郎が終戦に向けて尽力した総理大臣であったということを知り、とても驚いた。
もしこの人が当時の総理大臣でなかったなら、日本はどうなっていたのだろうか…。
鈴木貫太郎は、元々海軍の軍人。
1945年4月、77歳の時に内閣総理大臣に任命されたが、「軍人は政治に関与すべからず」というのが信条であり、老齢で耳が聞こえないという理由で辞退する。
手前:鈴木貫太郎(山崎努) 奥:昭和天皇(本木雅弘)
しかし昭和天皇から直々に「もう他に人はいない」と言われ、大任を受けた。
昭和天皇
鈴木貫太郎の使命は、いかに終戦に導くか。
「何がなんでもこの内閣で戦争を終わらせる」
しかし一億玉砕論が渦巻く中、終戦終結を示唆すればいつ陸軍のクーデターが起きてもおかしくない。
陸軍を安心させるために、鈴木は就任演説では戦意高揚を主張した。
(阿南惟幾が陸軍大臣に任命されたと聞いて喜ぶ陸軍将校)
7月27日ポツダム宣言発令
連合国が日本に対し無条件降伏を勧告。
そこには天皇制存続について明記されていなかった。
有利な条件を得なければ本土決戦も辞さない、という陸軍に押されるかたちで鈴木はポツダム宣言を黙殺する。
右:鈴木貫太郎 左:貫太郎の息子
鈴木は裏面ではソ連を介して和平交渉を進めようとしていた。
しかしソ連が日本を裏切り参戦。
更に8月9日には、最高戦争指導者会議でポツダム宣言受託の是非が論じられている中、長崎に原爆が投下された。
首相秘書官 迫水久常(堤真一)
それでも「このまま戦争を終結することは不同意である」という意見があり結論は出なかった。
条件を付けてポツダム宣言を受諾すべきであるという条件付き派
VS
即時受託派
陸軍大臣 阿南惟幾(役所広司)
「内閣は総辞職した方が良い」と言われるも、鈴木は「総辞職はしない。直面する重大問題を私の内閣で解決する」と答える。
鈴木貫太郎
もし多数決でポツダム宣言を受託することになったとしても、陸軍はクーデターを起こすことは予想出来る。
“聖断でしか戦争を終わらせる術はない”
聖断:天皇の決断
鈴木は死刑覚悟の上、秘密裏で天皇に聖断を仰いだ。
鈴木貫太郎
天皇「わたくしの名によって始められた戦争をわたくしの本心からの言葉で収拾できるならありがたく思う」
昭和天皇
8月10日、御前会議
(御前会議:天皇交えての会議)
鈴木「議をつくすこと数時間に及びましたが、事態は一刻の猶予もない状況です。このうえは陛下の思し召しをお伺いし、本会議の決定としたいと思います」
(※当時の御前会議は、天皇は臨席するが発言はしないのが慣例だった。立憲君主制の主旨からすれば、たとえ天皇の発言があっても、決定に影響を与えない「感想」として扱われたのである。〜中略〜 昭和天皇は「外務大臣の意見に賛成する」と答え、ポツダム宣言受諾を主張する東郷茂徳外相を支持したわけだが、これも法的にはやはり「感想」にすぎない。しかし日米開戦前の御前会議とは違い、こちらは政策決定に直接の影響を与えた。誰も異議は唱えず、結果的に「御聖断」となったのである。)
参考:戦前のエリートは昭和天皇の言葉を都合よく使い分けていた
天皇「それならばわたくしが意見を言おう。わたくしは(東郷)外務大臣の意見に同意である。このまま本土決戦に突入すれば日本民族は死に絶えてしまう。わたくしの任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。一人でも多くの日本国民に生き残ってもらってその人たちに将来再び立ち上がってもらうほか道はない。このまま戦争を続け文化を破壊し世界人類の不幸を招くことはわたくしの望むところではない」
8月14日深夜、宮城事件(きゅうじょうじけん)
(宮城:皇居)
宮城事件:終戦に反対した陸軍の一部の将校と近衛師団参謀の、クーデター未遂事件。
(近衛師団:天皇と宮城(皇居)を守護する部隊)
強硬派将校たちは、玉音放送の録音盤を奪って終戦宣言を阻止するために日本放送協会(NHK)に乗り込む。
(日本放送協会に攻め込む場面)
そして鈴木貫太郎を暗殺しようと官邸に押し寄せ火をつけたが、鈴木は無事であった。
このクーデターは鎮圧され、8月15日正午 玉音放送が流れた。
終戦。
鈴木貫太郎が終戦に向けて尽力した総理大臣であったから、1945年8月15日に終戦を迎えたけれど、もし他の人物が総理大臣であったならばどうなっていたのだろうかと思うとゾッとする。
広島長崎に原爆が落とされた後も「特攻で戦えば神風が吹く」と本気で信じている者も多かった。
また、映画の中に東條英機が天皇にサザエをたとえにして終戦反対を進言する場面があった。
東條英機「陛下のお好きな生物学に喩えれば、軍はサザエの殻と申し上げてもいいのであります。殻を失ったサザエはその中身も死なないわけにはまいりません。」
解釈:サザエの殻が中身の貝を守っているように、天皇を(中心とする日本を)守る軍隊がなければ天皇制の日本は滅びるであろう。だから軍隊は必要である。
(※ ⇧ここの場面は全く理解出来なくて、何度も見直した結果のあずきちゃんの解釈)
天皇「サザエは学名をTurbo cornutusといい、18世紀に英国のジョンフットソン氏が命名したが、お前はチャーチル首相がサザエを食す姿を想像できるか?スターリン元帥、トルーマン大統領もサザエは殻ごと捨てるだろう」
解釈:チャーチルもスターリンもトルーマンも、軍隊ごと捨てるだろう。だから軍隊があったとしても、潰される。
東條英機は鈴木貫太郎から2代前の総理大臣であり、東條の在任中に太平洋戦争が始まった。また、内閣総理大臣の他に外務大臣、内務大臣、陸軍大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣をも兼務していた。
1945年8月10日から14日に書かれた東條の手記にはこう記録されている。(以下、現代の言葉に訳されたもの)
昭和16年12月8日の開戦の時に、この国難を国民は一致団結で乗り越え、とにかく勝利のときまで戦い続けるであろう、そういう皇国の精神を私は信じている、ということで戦争指導に当たったと自負している。だが国民は、そうではなかった。戦争末期は、政治指導者も国民もまだ力があるのに、アメリカ軍の攻撃に脅えて手を上げてしまった。
参考:「聖戦完遂」を叫んだ東條英機……敗戦後に見せた「躊躇なく『私』を選ぶ精神性」
一方、鈴木はこのように綴っている。
人間はたとえ間違ったことであっても、それを繰り返し繰り返し耳にしていると、いつの間にかそれが真実にそのように聞こえて来、やがてそれ以外のことは一切間違っているかのような錯覚に捉われてしまうものだ。
戦争に負けるのは不名誉ではあるが、それよりもなお、この国の将来が生かされることになったのは、なにより喜ばしいというのだ。
参考:「聖戦完遂」を叫んだ東條英機……敗戦後に見せた「躊躇なく『私』を選ぶ精神性」
つまり東條は、”根性のない国民だとは思わなかった。国民が敗戦を受け入れたのだ”と述べているのに対して鈴木は、”初め国民は、戦争は間違いだと思っていたけれど指導者の言葉によって煽られてしまい、悲惨な戦争が始められた。”と対照的なことを述べている。
主権者の間違いによって、その連帯罪として罪のない民までが無念に死ぬようになる。
2003-04-06 主日の御言葉
今も昔も同じで、指導者の決断が良い方にも悪い方にも国民の運命を左右する。
鈴木貫太郎は1948年4月「永遠の平和、永遠の平和」と言って息を引き取った。
最後に…現代では戦争を、特に特攻を美化する風潮があるけれど、絶対に美化してはならない。
特攻に征けば必ず死ぬ。であるならば、通常の作戦で戦果を挙げる可能性がある歴戦のパイロットではなく、初心者を充てよう。また先々に軍の幹部となる者よりは、そうでない者を選ぼう。
参考:「特攻」十死零生の作戦に選ばれた、若きエリートたちの苦悩
このように命の選別が行われていた。
もちろん指示を出す、指導者層は特攻へ行かない。
志願を建前としていましたが、実際には強制でした。本人が望んでいない死を要求し、死なせる。こんなものは軍事ではない。国家のため、大義のためという、自己陶酔でしかない。戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。ロマンなどないんです。
参考:特攻70年 「神風」犠牲4000人 命中率は9機に1機。「特攻は日本の恥部、エリートは前線に行かず、戦争を美化。美化は怖い」(毎日)
命を大切に出来ない国は栄えない、とあずきちゃんは思う。
また、歴史を勉強する時、ただ過去の話として考えるのではなく、現在と比較しながら歴史を学ばなければいけない。
命と言うのは大事なもので、命のために生きなければならないのです。
命は霊魂と一体となっているものです。
1997-09-07 命は命のあるものが生かす
平和を作り出しなさい。そうする時あなたがたは栄えるだろう。
1998-01-18 平和を作り出しなさい
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
参考文献:日本の滅亡はいかにして救われたのか
国際留学生協会
WEB歴史街道
鈴木貫太郎とはどういう人?
昭和天皇のご聖断と鈴木貫太郎総理
クーデター「宮城事件」はいかにして失敗したのか
【戦後70年】玉音放送をめぐるクーデター 日本人が意外と知らない戦争にまつわる7つのこと
開戦2日前、東條はなぜ寝室で号泣したのか…「昭和の怪物 七つの謎」